山田規畝子からみなさんへのメッセージです。
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脳外傷友の会全国大会参加報告
 倉敷チボリ公園と川崎医療福祉大学にて11月3、4,5日と全国から300人を越える高次脳機能障害者の参加のもと、岡山県らしい良いお天気の中、開催されました。私は息子と2人香川県代表の1人として参加しました。
 チボリ公園アンデルセンホールという大きな会場にも関わらず、アットホームな温かい雰囲気の中、交流会が開かれました。山田は今回は仕事もせずただ遊びに行かせててもらい、良い思いをしたのでした。不届き者。
 このサイトに良く来て下さるコバさんなどにもお会いできました。とってもイケメンだったじょー。インターネットでしか知らない北海道の当事者の方にもお会いすることが出来、バーチャルが現実になった不思議な時間でした。北海道からの参加者は結構おられ、コーラスを披露されていました。この人たちに比べ、瀬戸内海を越えるだけでひーひー言ってる山田親子はいったい。沖縄からの方もいらしていました。
 時々このサイトでお見受けする京都大学の種村留美先生の患者さんの方もいらしたようですが、認識できませんでした。ただ、種村先生の旦那様の川崎医大教授の種村先生に始めてお会いしました。優しそうな鼻筋の通ったハンサムなお兄様で美男美女カップルと知りました。だからどうだってこともないんですが。
 理解の深い当事者同士と家族の集まりはやはりほっとする親族のような雰囲気で和みました。

 2日目はシンポジウムでお勉強。3日目は倉敷市内の散策と楽しい時間を多くの仲間と過ごしました。みんな頑張っているという生命力を見せてもらい、山田はパワーと癒しをもらってきました。全国大会は毎年行われるようです。高次脳機能障害の皆さんは次回参加してみてはいかがですか。

 とっても良い人たちに囲まれ、風邪気味で参加したうちの坊主も3日目は倉敷美観地区+大原美術館の散策中、ずっと私の車椅子を押してくれました。こんなにお兄ちゃんになったとは、と見直しました。風邪引きの子に車椅子押させてひどい母親だと言われそうですね。全くそのとおりです。実はこの旅行以前熱があって寝込んでいたことがストレスだったようで、車椅子押しで運動したら気が晴れて、車椅子押しが楽しくなっちゃったそうです。若いって良いですねー。人間万事塞翁が馬です。ではまた。

(2006.11.07)

明日から秋のツアー
 まだ西日本から出られないんですが、一応電車に乗って知らない街へ、高次脳機能障害のお話しをしに。私の頼れる美人マネージャーとともに出かけます。まず今期の皮切りは滋賀県立リハビリテーションセンターのご依頼。明日からまだ見ぬ滋賀県へ。琵琶湖を見てリフレッシュしてきますわ。リフレッシュの一番は非日常に自分を置くこと。もうそろそろぷわーっと発散せねば毒素が溜りつつある山田ですから。

 季節の変わり目は気温に自分を合わせるのが大変。皆さんも気をつけて〜今回は息子は置いていきます。彼は風邪気味だし。

(2006.10.19)

今読んでいる本
 ここに傷があるからこうなのだ、といういわゆる巣症状が良くわかる本を教えてもらいました。

 池谷裕二 著
 進化しすぎた脳 ― 中学・高校生と語る大脳生理学の最前線
 朝日出版社、2004年10月27日発行、1,575円

(2006.09.18)

ハムちゃんたち
 うちのハムちゃんよそから2匹戴いて、いまや6匹。使用頻度の少ない部屋と言う安直な選択からうちではなんとソファセットのある応接間がハムちゃん部屋に。一匹一個のケージに悠々と住んで気ままに暮らしていますが、結構知恵が付いて自分でケージを開ける技術を会得する子が続出、ふと見ると廊下をのんきに散歩する姿が。
 この子たち電話線なんかを噛み切ったりするので見つければ捕獲せねばならぬ。折悪しく息子は父親と旅行に。昨日からうちの中をさっと横切る影を追って走り回る私。最初の2匹と底から生まれた4匹で何とも色といい顔といいそっくり。間違ったケージに戻すと一悶着あるので姿を見かけるとあんた誰なのー、と叫びつつ小さい影を追いかける日々。

 温かくて柔らかい毛皮、抱くことで犬並の癒しが得られるうちのペット達。高次脳障害者には悪くないペットだが落ち込み気味の時は自分のことで精一杯でペットは当事者に責任と義務を課すので気が重いこともある。抑うつ状態には良い効果が無いケースもあり、当事者の状況を良く考慮する必要がある。共同で飼育できる健常者があった方が良い。

(2006.09.17)

抗痙攣剤
 傷ついた脳が作り出す過剰な電気信号が身体に癲癇といわれる痙攣を作り出します。抗痙攣剤を飲んでる方、ここに来られてる方には多いでしょう。このクスリ、脳の出す過剰な電気を押さえるために飲むんですけどこれが正常な脳の信号も抑えてしまう。こんな抑制をわざわざかけながら生活していくのは本当にだるいんです。神経のつながりのブロックをするクスリめちゃくちゃだるくて手足が油断してると抜けるかと思う感じ。
 それでとにかく眠い。コミュニケーションが出来ずただ飲まされている子供ちゃんたちも本当はしんどいんですよ多分。モヤの会の方と話した時、先生、何錠おのみですかと言うので話したら、なーんだちょっとですねえ、と言われてから、文句をやたらに言わないことにしました。子供さんでも頑張っているのに。私はついうっかり飲み遅れたりすることが多くて、まだ性懲りもなく発作を起こします。

 12日にも何が悪かったのか判らぬままに早朝痙攣を起こし、しゃっきりしないままトイレに行き、ベッドに戻る途中自室で見事に転倒。左手をついて転んだ際、左小指を激しく突き指。小指が手の方にめり込み亀の首みたいになって痙攣はすっかり終ってたけど一応救急車をお願いし、かかりつけの県立病院。めり込んだ指を見た時、職業病でしょうか、整形外科医の血が疼き、一瞬自分で渾身の力で引っ張り出そうとしましたが、あまりの痛さに断念、ゆっくり麻酔してやってもらおうということにしました。搬送された病院ではちょっと嫌な予感があったけどやっぱり無麻酔でいきなりばきぼきと指の変形を男性2人で矯正され、絶叫でした。かつては自分が患者さんにやってきたこと。こんなに痛いとはショックで涙も出ませんでした。付き添ってくれた病棟のナースの手を必死で握り、出産以上の初めての痛み。でも、そのバキボキのおかげで指はまっすぐになり骨折部分がうまくかみ合い、今は殆ど痛みはありません。このまま4週間ほど固定をすればまず間違いなく骨は付いてくれるでしょう。
 折れた指以外の部分は骨折の翌日から自分でスペシャルマッサージ。骨折の部分を触らなく手も結構痛いけど、後で関節が固まったりせぬように、せっせとやっています。でもこれは山田が高見えても専門医だったからできるので骨折した時に良い子は真似しないで下さいね。ちゃんと主治医の言うことを聞いて。

 痙攣のクスリを飲む時間少しだけ寝過ごした代価がこれでした。トホホ。2日入院の後退院しました。うちはやっぱりいいんですが、右手のみの生活。どっちにしても左はもともと使っていないしと自分を励ましつつ暮らしています。早く治そうと思い、牛乳もいっぱい飲み、栄養も取ってどんどん育っていくお腹の脂肪をどうするか、せいぜい歩いて暮らします。皆様も転倒にはくれぐれも気をつけてくださいまし。

(2006.09.16)

本の紹介
 『神様、ボクをもとの世界に戻してください――高次脳機能障害になった息子・郷』
 河出書房新社刊 鈴木真弓著 1500円
 ――いま話したことも憶えていない、突然キレる……。スキー事故で奇跡的に助かった20歳の息子にくだされた診断は「後遺症なし」。医師の無理解、自殺未遂など困難を乗り越え、社会復帰までを描いた感動の手記。――

 スキー事故で脳外傷を負われた高次脳機能障害の20歳の男性のお母さんの書いた本。
 高次脳機能障害の行動障害などメンタルな部分は壊れた脳などより克明で判りやすく、山田の医者の目で見た世界と切口が違い、「壊れた脳 生存する知」と2冊あわせて読んでもらうといいと思いました。良い本です。

(2006.09.03)

「壊れた脳 生存する知」増刷
 今度ちょっと久しぶりに壊れた脳が増刷されます。第11刷。これで累計39000部とのこと。
 第11刷が多かったので久しぶりなんですがさっと決まったのは多分テレビ効果でしょう。お買い上げくださったすべての皆さんに感謝!
(2006.08.26)

番組出演によせて
 高次脳機能障害のような見えざる障害の当事者が社会に無理解を感じることは多いようですが、それは一般の方々はこんなことに困っている人がいるなんて思いもよらないからなのだと私は思っています。健常者と障害者が同じ社会で共存しているのが極普通と思える状況になってくれればと祈っています。高次脳機能障害者がいるのをみんなが「日本の常識」として認識する社会になるのが私の夢です。「その人が何に困っているか知らないから気配りが出来ない」と言うのが多くの日本人の現状だと思うのです。高次脳機能障害?そういえばどっかで聞いたことある、とかテレビでみたな、とかみんなの頭のどこかに残ってくれるように、私はテレビに出たりするのです。
 8月16日(水)21時日本テレビ系「ザ!世界仰天ニュース」の中である番組制作会社が2年ほどじっくり練って作ってくれたVTRが出ます。半側性空間無視など健常者の理解しにくい症状を何度も高松まで足を運んで撮影して下さいました。一人でも多くの方に見ていただきたいのでお知り合いにたくさん宣伝して下さい。お願いします。

 まだまだ暑さが続きます、皆様お体を第一に無理をせず一日一日生きて行きましょう。

山田規畝子敬白
(2006.08.08)

最近見た映画
 息子の強い希望で夏休みになったとたんに「ブレーブストーリー」を見に行きました。
 ごく普通の12歳の少年の話である日、見つけた幻界への扉を開けて運命の女神に自分の運命を変えてもらいに旅に出るというお話です。人間はみんな生まれて来る時は一人と言いますが、それでこの世で自分を見つける旅に出るんだとかねがね思っていましたが、12歳になった小さかったまあちゃんも自分探しの旅に出るんだなと思い、私も一人でも病気と一緒にこの先も生きて行く勇気を持たなければと確認させてくれる映画でした。
 息子はよほど気に入ったと見えて私と見に行く前には父親とも見に行っていたようです。
(2006.07.25)

小澤勲先生の「ケアって何だろう」
 この間の岡山の早島町の講演でご一緒させていただいた小澤勲先生の「ケアって何だろう」と言う本(医学書院)を時々固まりながら読んでいます。
 ケアに突いていろんなことを教えてくれる本でして分厚いので時々言葉を拾って御紹介します。
 小澤先生のご専門は認知症なんですが、スウェーデンの施設を見学後、「この人の人生はこの人のものであり彼らが望むことを私達はサポートする」という言葉があり心にひびきました。そうですよね、私も老人施設を預かっていてコミュニケーションの取れない人と毎日付き合う中でそれは何だったのだろう、本当にその人の望むことをサポートしていたのか、と。
 私は講演で「家族がある日脳障害者になった時、一体何をしてあげたら良いのでしょう」という質問を受けました。あまり良い答えが浮かびませんでしたが、「その人の本当に困っていることは何か一生懸命想像しましょう」ということをあちこちで言ってきました。彼らが望むサポートと言うのは、健常者であるケア提供者が自分だったらこうして欲しいなあと思うことではないのです。それは健常者の物差しで考える障害者の思いに他ならず、私がやはりよく言っている、自分の物差しに当事者をあわせようとしないで、ということなのです。

 想像するために生活を、動作を、つぶさに見つめてください。よく観察して下さい。という思いをこの本にも見つけ、まんざら間違ってもなかったかとほっとしたりしたのでした。小澤先生のメッセージは現場の皆さんの良い道しるべになると思いました。2100円ですがお手元に一冊いかが?

(2006.07.05)

「医師が語る高次脳機能障害の世界」
 昨日岡山の早島と言う小さい街で行った講演は非常に興味深く面白かったので報告させてもらいます。立命館大学産業社会学部石倉良次教授、痴呆を生きる私達の会の企画で講演させていただきましたが、精神科医で神経心理学者の種智院大学教授小澤勲先生とのジョイント講演ということで、始まってみると「壊れた脳 生存する知」を核に山田規畝子がまな板の鯉となり、山田規畝子は認知症とどう違うのかを科学的に非常に判りやすく教えてもらう講演になりました。

 山田が認知症ではない根拠は「前子ちゃん」の登場なのだそうで、全然知らなかったが認知症患者には「前子ちゃん」はいないのだそうである。山田は拙著に「自分が誰だか知っているので私は痴呆(認知症)ではない」と書いたのが正解だったらしい(無責任)(笑)。
 小澤先生によると「私」の崩れが無いと認知症ではない。認知症では脳の「前子ちゃん」の部分がかなり弱っているという言い方をされました。違う言い方をすれば自分に関するオリエンテーションが無い。失敗をしている自分がいて、それがわかっていて客観的に診ている自分がいれば認知症ではないのだそうです。
 私は最近若い高次脳機能障害の方に「前子ちゃん」がいないと言われ、「えーっそうなのー?」と驚いたのですが、そのことについてはちゃんと質問しました。本人の若さゆえの人生経験のなさが原因で「前子ちゃん」が出て来ないと思われるケースは人生経験の蓄積によってそういう現象は生じるようになるでしょうとはっきり言ってもらいました。いろんな経験をしていろんな気持ちを味わっていろんな人に会っていろんなことを知っているうちに自分に寄り添って自分を励ましてともに生きる「前子ちゃん」は自分で生み出すことが出来るようですよ。

 結局、「壊れた脳 生存する知」を細かく分析して貰う講演会になり、どの聴衆よりもまな板の鯉の山田が一番楽しんでニヤニヤしていた講演会だったのでした。

 お土産にもらった本がまた面白そうなのでこれから楽しみにちびちび読みます。

  「ケアって何だろう」小澤勲著(医学書院刊)

小澤先生の7人の知識人との対話の本です。介護、医療関係者必見の書。

※「前子ちゃん」とは
 そのうち私は、私を助けに出てくる「もうひとりの私」が脳の中に息づいていることを感じるようになった。たとえば、突き指を予防するのは「不用意に手を突き出さない」ことを意識する注意力で、これは理性に通じるもの、いわゆる前頭葉の働きではないかと私は解釈している。そういう意味で「もう一人の私」を、私は「前子ちゃん」と命名した。前頭葉の「前」に、もうひとりの私も女性だろうから「子」をつけて前子ちゃん。(山田規畝子著「壊れた脳 生存する知」より)

(2006.07.02)

ただいま
 新潟湯沢温泉鉄道の旅に息子と行って来ました。大学卒後18年の同窓会でした。皆それぞれに年齢を重ねたおばちゃんドクターになっていました。息子がかねてから熱望していた寝台特急サンライズ瀬戸のB寝台ツインの個室を取ってまず東京に出、到着が朝7時と早すぎるので東京の日頃不義理をしている親戚宅に収容され、夕方まで時間を潰し、夕方湯沢まで新幹線で移動湯沢温泉に一泊して翌日、また東京に戻り、夕方まで友人と時間を潰し、以前テレビ番組撮影で御世話になったテレ朝のディレクターとも再会、また寝台特急で高松に帰りました。
 こんな本格的な2人旅は初めてだったので何かしらのトラブルも想定していたんですが、旅先の人々のサポートの行き届きのおかげで全く困ることもなく無事早朝の高松駅に到着、自宅にたどり着きました。
 やってみるもんだなあと思いました。息子も今年は6年生、すっかりおにいちゃんになり、帰ってみれば息子に『連れて行ってもらった」感の強い旅行でした。
(2006.06.13)

高次脳機能障害者の手助け
 高次脳障害者は自分の能力の欠損を自分に残されたありとあらゆる他の機能で代償しながら生活しています。自分の脳が納得出来る速さで一つずつ確認して自分で判断しながら暮らしています。自分のペースと言うものがすべての障害者にあります。
 私の恩師の山鳥重先生は、いつも「あなた生活ののペースを混乱させられないようにしなさい」とおっしゃいます。高次脳障害者の脳は確かに外界の情報を正しくとらえることが苦手ですが、自分なりの方法と速さで、残った機能でとらえた情報で自分で判断をして行動しています。横で見ているとイライラもするでしょうが、それを健常人のペースに無理に合わせようとするのが最もよくない手助けだと沢山の同病の仲間の生活を見ていて思います。

 以前ある介護者と歩いていて私がちゃんと力の入らぬ左足をぶら下げて、一歩一歩次にその左足を置くべき場所を見極めながら歩いていた時のことです。彼女は私が次の一歩を置く場所を決めかねていると思ったのでしょう、ここここ、ここに足置きなさいと言いながら、私のぶらっと垂れた左足をつかんだのです。どうせ満足に動きもしない足だから、変わりに動かしてあげても良いでしょうと思ったのでしょう。
 私は確かに主に右足だけで歩いています。左は次の一歩を出す時に一時的に体重を預ける杖に過ぎませんが、右足一本で体全体のバランスを取っている私の左足が他人につかまれてしまうと自分が自分なりのバランスを脳が保つことが出来ません。それから手を持ってくださのも時によっては自分のペースが混乱してしまい怖いことがあります。私などはつかまれるものがなくても手を伸ばして触れるものさえあれば階段もある程度歩けます。それは触っているものが植木の細い小枝でもいいんです。目の距離感の障害を代償するために手で周囲の何かに触れることで自分と周囲との距離がわかり、今自分が存在する空間での自分の位置がわかるんです。ぼんやりと怪しい情報しかもたらさない視覚の情報でもこの触るということによる距離の情報と一緒になれば、自分の体の重心を置くべき位置がおのずとわかり、安定して段を昇降することも出来、怖いという感覚も減ります。  こういう場面で手を引いて引きずり上げるかのように階段を引っ張り上げたり介護者のペース本位でやられると結果的に目的が早く達せられたとしても恐怖感で体が緊張し後に疲労感が残り、好意での手助けがかえって当事者にストレスを与えることになります。

 当事者の重症度に応じ、手厚く援護してくださるのは良いけれど、高次脳機能障害者に関しては、やれることがたくさんあり、能力の欠損に応じて残った脳の機能が代償して全体としてバランスが取れていることが多く、手助けのしようによっては当事者の機能のバランスの妨げになったり当事者の生活ペースを狂わせる結果になったりします。当事者の生活の支援に入る方はまず現状で出来ようること出来ないことの把握をきちんとされ、当事者に対する誤った思い込みを極力持たぬことが必要と思います。
 こういう仕事をしていた人だからこうに違いない、とか、こういうことは全然出来ないだろうから全部こちらでやってしまおうとか。適切な支援に恵まれれば、当事者の世界は大きく広がりますが、トンチンカンなかかわりがかえって当事者の世界を狭め、生活の枷になることもあります。そのためには現実をよく知り正しい評価をすることが重要です。

(2006.06.01)